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あがり症克服体験談

あがり症、対人恐怖症、赤面恐怖症、多汗症、視線恐怖症を乗り越えた男

あがり症を克服しようと決意するまで(大学入学から社会人)

試験でも緊張するようになって、大学入試も二度失敗。二浪してやっと大学に入学できました。

 

二浪した引け目もあって、友人も作らず、サークルなどにも入らず、語学の授業やゼミでもできるだけ他の人とは話さないようにしていたので、周りも私からは距離を置いて、用件だけ伝えてそれ以上は話さないという感じでした。

こんな感じで、大学で授業を受けて帰ってくるという生活を4年間続けていました。

大学生らしく一応アルバイトもしましたが、商品のパック詰めの仕事でほとんど会話せずに済む仕事でした。

この頃には、完全に対人恐怖症といえる状態です。

 

両親もこんな私を心配したようで、就職先を世話してくれました。

縁故採用で内定をもらったのは、公益法人。某官公庁の外郭団体のような組織です。

事務的な仕事が大半とのことで、ここなら対人関係が苦手な私でも大丈夫だろうと両親は考えたようです。

 

大学卒業して入職する時にはとても緊張しましたが、研修も大学の授業のような淡々とした内容で、入職者はそのまま各部署に配属となり、同期会も入職歓迎会もなく、与えられた仕事を淡々とこなせばいい職場でした。

職員同士のコミュニケーションもメールでやり取りする感じで、会話を交わすとしても上司と少し話す程度です。

自分にとっては、とても居心地の良い職場でした。

 

ところが、それも長くは続きませんでした。

勤務先の法人が統廃合によって、他の法人と合併したのです。

それにより、今までのような居心地の良い職場ではなくなってしまったのです。

 

新しくできた法人の新しい部署に配属された私は、周りは知らない人ばかり。

しかも、毎日朝礼や会議があり、発言を求められるのです。

発言をする時には、いつも緊張で顔を真っ赤にして、顔や手、脇から噴き出るように汗をかき、手や声も震えるという有様です。

視線もうつむきがちで、相手の目を見て話すことができません。30歳目前というのに、この有様です。

このせいで、職場では評価されずに、同年代の同僚は昇進していくのに、私だけ取り残されていきました。

 

このままではいけないと考えた私は、どうにかしてこのあがり症、対人恐怖症、赤面恐怖症、多汗症視線恐怖症といったものを克服しようと決意したのです。

 

 

あがり症になるまで(中学から高校まで)

中学生の頃から、いわゆる「あがり症」といわれる症状にずっと苦しんできました。

30代に入り、ようやく克服できた私の体験談を書いてみたいと思います。

 

幼稚園の頃は、近所の人に声をかけられると、笑顔でちゃんと挨拶できていた子供でした。

小学生の頃も、同級生と普通に話すことができ、授業中も手を挙げて発言することができていました。

 

ところが、中学1年生の時、私が書いた作文がコンクールで入賞し、全校生徒の前で読むことになったのです。

大勢の前で話すのは初めての経験で、緊張のあまり声が震え、顔が真っ赤になり、つっかえながら読む姿に、あちこちから笑い声が聞こえてきました。

恥ずかしさと悔しさで、早くこの場から立ち去りたかったです。

 

その後、教室に戻ると、同級生にからかわれ、「セキメ」というあだ名をつけられました。

私の「関根(セキネ)」という苗字と「赤面(セキメン)」をかけてつけられたあだ名です。

 

「セキメ」というあだ名をつけられて以来、何事にも消極的になり、同級生とも声をかけられれば話す程度で、自分から話しかけたりすることはなくなりました。

授業中も、先生に当てられると、緊張して顔を真っ赤にして答えるようになってしまいました。

赤面している自分が周りからどう見られているのか気になるようになってしまい、視線恐怖にもなってしまいました。

 

高校に入学したら、環境が変わって少しは改善するかなと思っていたのですが、そううまくいきませんでした。

というのは、同じ中学の出身者が同じクラスとなり、すぐに「セキメ」というあだ名を広められてしまったのです。

入学して1か月もしないうちに、クラスのみんなから「セキメ」というあだ名で呼ばれるようになってしまいました。

この頃からは、赤面するだけでなく、汗も多くでるようになりました。

授業中、先生から当てられた時には、緊張して顔を真っ赤にするだけでなく、顔や手、脇から汗が噴き出てきて、手や声も震えるという状態です。

この頃の私は、他人の視線が気になって、いつもうつむいて過ごしていました。